昔、昔の話
2016/09/25
スポンサーリンク
今日は何となく思い立って、私の昔話などを。
私、結構複雑な家庭環境で育ってきたかなと思います。まあ普通ではなかったかな。
母は生まれた時から病弱で、それでもって母の父(私の祖父)が医者でお金持ちだったので思いっきり箱入りで育てられた世間知らず。ぬくぬく親と看護婦さんとお手伝いさんと兄弟達に囲まれて何不自由なく育ち、短大を出て、就職もせず「家事手伝い」で家にいて気がついたら30歳を目前としていて。本人は結婚して家を出て行く気はさらさらなかったみたいなんですが(超ファザコンだったらしいのでね)親が逆に焦って色々お見合いなどをすすめていたらしいです。
もちろん男を見る目も全くナッシングで、色々紹介された男の人のうち、何故か自分の姉の知り合いの知り合いの兄だかなんだかの私の父とお見合いして、何故か結婚する事になります←これ大失敗。
私の父は娘の私が言うのも何ですが完全なダメ男でして…結婚に向いていない人っていますよね。全くもって当てはまる人でした。まあ、結婚したのも、長男で、自分の父親が年老いてきて面倒を見てくれる(家庭に入ってくれる)要はお手伝いさんを探していただけのような感じです。あと、母の実家のお金を当てにして結婚したのも大きいです。
とにかく結婚した2人、母は大好きな家族と別れて父と祖父が住む関西地方へ引越し、その日から想像してなかった結婚生活が始まります。
毎晩パチンコと麻雀と飲み歩きで忙しく家に帰ってこない父、直腸ガンの手術をしたばかりで家で安静の祖父の面倒、初めて住む土地での近所づきあい。もちろん父は自分の為にお金を使うのに精一杯で、生活費なんて渡しません。家と土地は祖父が買ってあり、食費などは祖父が母に渡したりしていたようです。あと、母の実家が里帰りの際に色々こづかいを持たせたりして。そして、それを父も承知しているから、ますます自分のお金は母に渡さず。悪循環ですね。
スポンサーリンク
普通ならさっさと離婚して実家に帰るでしょーってな感じなんですが…なんせ昔の人ですから、一生懸命我慢して頑張って、そうこうしているうちに姉と私も生まれちゃうわけで。
でも父は自分の家庭外での生活が楽しいわけですから、子供が出来たからって変わりません。相変わらず夜は遅いし、週末も寝てるかいないかで、私はほとんど父と過ごした記憶がありません。
母も何度か離婚を考え、実際に荷物をまとめて私達姉妹を連れ実家に帰ったみたいですが、そうすると父が「悪かった、もう一度やり直したい」と泣きながら頭を下げて迎えに来るらしいんですわ。父の父も一緒に頭を下げて、「帰ってきて欲しい」と。そうするとまた何故かその言葉を信じてまた戻ったりして。それを実に何回も繰り返したらしいです。何度もノイローゼになり、精神安定の薬を飲んだり、ひどい時はまったく眠れなくなって入院したりしながら。
母に、何故そこまで頑張ったのって聞くと、理由は「義父」だそうです。私の父方の祖父。不甲斐ない息子の所に嫁に来てくれて、自宅安静の自分の食事の世話など色々面倒みてくれ、孫達も一生懸命育ててる母に対していつも「すまないね、本当にありがとう」とやさしかったそうです。もともとファザコンだった私の母、嫁に来た先のお義父さんにもなついてしまい、なかなかきっぱり離婚に踏み切る決心ができなかったそうです。自分が本当に出て行ったら、祖父の面倒を見る人がいなくなり、それがどうしてもできなかったそうでした。
でもその生活も、祖父の死をきっかけに転機が訪れます。
長くなるので、一旦ここで切りますね。
スポンサーリンク