海外で働くー私が今の仕事をするようになったきっかけ、前編
2016/09/25
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前から書きたかったテーマですが、色々忙しくしててなかなか書き始める事ができませんでした。
多分、仕事関係については何回かに分けて色々書いていきたいと思っていますので、お付き合いお願いします♪ もう、長ーくなる事は分かりきってますので...スミマセン(^^;)
以前、海外で逞しく生きるコツとして2つの記事をアップしました。
最初の記事は、海外で自分らしく生きていくには、どんな理由であれ離れてしまった日本に執着しすぎていては、いつまでも新しい海外生活に慣れる事が出来ないよっていう私の若い頃の話を書きました。その時の記事はこちらから→海外で自分らしく生きていくには
2つ目は、海外生活が長くなるにつれ上達するはずの語学力、周りの人の言葉や自分の中で作り上げた、こうなっていなければいけないはずと思い込んでいる理想の自分と比べてばかりいると、いつまでも満足なんて出来ないよっていうこれまた私の若い頃の話でした。その時の記事はこちらから→語学力、どこまで身についたら満足?結局は人と比べない事が大事
今回は、仕事の事について私の昔話を(笑)
以前の記事にも書きましたが、10代の頃の私はとにかく日本に帰って結婚して長く住む事くらいしか考えてなく、他にやりたい事や将来の夢がなかったので、最低高校さえ卒業すればそれで充分だと思ってました。全く勉強にも興味がないので高校を卒業した後進学する気はこれっぽっちもなく、親の顔や親戚の目や建前の為だけに進学するのは時間とお金(授業料)の無駄だ、と。それ以前に進学できる程の成績でもありませんでしたが。家も苦しかったし高校時代から始めた日本食レストランのバイトで結構いいお金を頂けていたので、余計に目先の今すぐ手に入る現金に魅力を感じてしまって、ひたすらバイトに精を出す日々。
結局私の日本帰りたい病は主人と出会う22歳まで続き、それまでずっとレストランでバイトするフリーター生活でした。貯まったら辞めて日本に帰り、また帰ってきてバイト先探して、貯まったらまた辞めて日本に帰り。
主人と知り合いお付き合いが始まった後はさすがにもう日本に帰る事はなくなりましたが、フリーター生活はしばらく続きました。彼も一緒のレストランでバイトしてたので。
でも、腰を痛めて(3年のバイト生活で、ビールのケースなんかを腰を気遣いせず持ち上げたりしすぎて、ぎっくり腰をやらかして)レストランを辞めたのをきっかけに、彼は今までの夜型生活から私より先に足を洗います。奴も何となく短大行ってます、でも何をしたいのかイマイチ分かってません君だったので、バイトを辞めて授業料が払えなくなった時点で短大もフェードアウト。
そこから主人は昼間の仕事を探し、平日朝7時から夕方6時まで開いている、都心オフィスビル内の新しくオープンしたばかりのカフェのマネージャーとして雇われます。オーナーは、元バリバリの銀行マンが転職して始めたばかり。
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主人の3年のレストランでのバイト歴を買って雇ってくれた訳ですが、年齢が若く学歴ない所もばっちり気に入られて(笑)、週5日毎日11時間働いて、月のお給料が手取りで10万円。もちろん交通費支給なし、非正規雇用ですから何のベネフィットもありません。えーと、時給にして400円ちょっと? その当時私達の住んでたアパートの家賃が5万8千円だったかな。
そして、主人の仕事の時間帯に合わせ、私も夜働くレストラン生活を辞めるべく昼間の仕事を探し始めました。新婚だったしね、一緒の時間に家にいれる方が大切だったし(照)
まず、日本人観光客をターゲットに開いている、日本人経営のお土産物屋さんの販売員。
海外で1日観光ツアーをされた方は経験があるかと思いますが、色々観光名所を回り、バスにゆられてホテルに帰る前に「ちょっとこの辺でトイレ休憩しましょうか~」ってガイドさんに言われて立ち寄るお土産物屋さんね(笑)トイレを借りたら、店内を通ってからじゃないと出られない仕組みになってます。こういうお土産物屋さんは、必ず観光客の方のツアースケジュールに沿って開いてるので、後片付けして遅くても6時には閉まります。
その他には、現地ツアー会社の事務。
空港への送迎バスやガイドさんの手配、1日観光のバスの手配したり、名所の入場料やチケットの手配、後レストランを予約したり。これも、ツアーは大抵夕方までに空港に着いて朝出発、1日観光もほとんど9時から5時までが基本なので、飛行機が遅れたりなどのトラブルがない限り、6時には家に帰れます。
ツアー関係の仕事はやはりシーズンがあるので、11月から3月くらいまでは開いてません。紅葉の季節が終わったら日本からの観光客も次の年の春までは来ないので、その間はまたレストランでバイトしたり。
レストランで働く夜型生活から朝型に夫婦でシフトし(私はまだ完全にではなかったですが)、こんな生活が2年程続きました。
後編に続きます。
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