海外で働く-私が今の仕事をするようになったきっかけ、中編
2016/09/25
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前回の話の続きです。
前回の話がまだな方はこちらから→海外で働く-私が今の仕事をするようになったきっかけ、前編
主人が朝7時から夜6時までのカフェマネージャーの仕事に就いたので、私もなるべく同じ時間帯の仕事をしたくて観光業関係のバイトを見つけ、働き始めました。
話はちょっとずれますが、主人はこのカフェのオーナーからお給料は銀行振り込みにするので、勤め先のオフィスビル内に入っている銀行で口座を開けてと言われました。その際に、何を思ったか「ネイナン、共同の口座にするから、一緒に銀行に来て。ネイナンもサインしないと」と。共同口座(ジョイントアカウント)というのがあるのすら知らなかった私でしたが、言われるがままについて行って一緒に口座を開け、カードをもらい。
それ以来、ずーっと私がお金の管理をしています。お給料が振り込まれたら私が口座から引き出してお小遣いを渡しますが、この頃は月1万円。手取り10万円で小遣い1万円って、1割か、今よりいいな(笑)
私の仕事はシーズンものなので、冬になるとまた他のレストランのバイトを探してやってました。観光関係の仕事は、チップが入るレストランのウェイトレスと比べるとそれほどお金が良いわけではないので、2人で週5日働いてお給料は合わせて20万ちょっと。交通費は自腹。冬に私の収入がなくなると主人の月10万では完全に生活出来なくなるので、たまには掛け持ちしたりして働いてました。
丁度この頃って、コンピューターが家庭用にもっと普及され始めた頃だったんですよね。PCじゃないよ、コンピューター(笑)高校の授業用に置いてある解りづらいMS-DOSのコマンド式ではなく、GUIでWindows98など出てきて、一般家庭でも手を出せるような。でも、家にコンピューターある人=金持ち~っていうくらい、必需品ではなく贅沢品だった頃です。まあ、携帯もまだ必需品ではなく贅沢品だった頃ですからね、でっかいブラウン管のモニターとコンピューターが30万円以上してました。
月収手取り10万円の主人、コンピューターに興味を持ち、どうしても欲しくて、欲しくて...
従兄弟の知り合いが中古の部品で組み立てたのを15万円で売ってくれると聞き、どうしてもお願いと言うので投資と思いかなりの覚悟で買いました。奴の月収より高い、2人でフルで働いた1ヶ月のお給料に近い金額。家賃の約3か月分。本当に贅沢品だったわー。普段欲しいと言わない人がどうしても欲しいと言うので、それ程ならと思って←今は欲しい物いっぱいだけどね、あの頃の主人は何処行った(笑)
そして私が冬に夜レストランで働いてる間、ずーっと、それこそ本当にずーっと毎晩色々触ってて。その頃のPCって、ちょっとの事ですぐ画面真っ白?真っ青?になって。後ウィルスね。毎晩飽きずにずっと色々いじってて、いつの間にか自分で初期化したり中開けて色々やってみたり、RAMやハードドライブ、マザーボードなんかを買ってきて交換したり取り付けたり。新しく買った友達に色々聞かれて教えてあげたり、困った時に直しに行ったり。
いつの間にやらとても詳しい奴になってました。
そうしたら次は色々本を読み始め、急にマイクロソフトのオフィス(その頃はMSオフィス97)のクラスを取りたいと言って、IT専門学校の毎週土曜日の3時間コースを12回、イントロから始まり、ワード、エクセル、パワーポイントの初級コースを習いました。これもその当時は私達にとって結構な金額でしたが、短大を途中で辞めちゃった主人が、学校で習いたいクラスがあるって言ってきたのがうれしくて、もちろん金額は惜しまず。
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クラスが終了してすぐ人材派遣の会社に登録すべく連絡し、MSオフィスのテストで結構いい点を取った主人(習いたてホヤホヤですからね 笑)、あっと言う間に契約社員の仕事が回ってきました。大手米車会社の、コールセンター(カスタマーサービス)の仕事です。時給1,300円、3ヶ月の研修期間が過ぎたら契約社員でも医療保険はつくそうで(もちろん夫婦だから私の分も)。
こうして、2年以上続けたカフェのマネージャー(その頃には手取り11万円になってた)を辞め、主人はオフィスで働く人に変身しました...当時、奴23歳。
変身した主人を羨ましく思いつつ、私もいつまでもこのままじゃいけないなーと真剣に考えるようになりました。
シーズンのバイト、1年に半年近くは別の仕事を探さなきゃいけない。
現地の観光ツアー業界、ちょっと日本からのツアー客の予約の入りが悪いと、バイトいらないってなるのは覚悟しないと。
ベネフィットもない、お給料も安い。
何より、なんで私はこんだけ長くこの国にいて、まだ日本人社会でしか仕事を探そうとしないんだろう。1度はこっちの人達とも働いてみたい、こっちの会社でも働いてみたい。初めてこの国に足を踏み入れて10年ちょっとが経っていて、ぎりぎりの成績だったとはいえ高校も卒業した。あの時ESLで一緒だった私のクラスメート達は、きっとみんなバリバリこっちの会社で働いてるに違いないのに。やっぱり語学力に対してのこだわりが強く私の中に残ってて、その気持ちは日々強くなりました。
そんな思いをもやもや持ちながら、主人の会社での話を色々聞き、「ネイナンも出来るよ、やってみなよ。」と励ましてもらってるうちに、とうとう決心します...私もやってみよう、と。
英語力が不安でも、まずやってみたい。そうじゃないと、絶対後悔するから。
そして、私も主人と同じ道を辿る事に。IT専門学校の土曜日コースでMSオフィスを取り、履歴書を用意し、こっちの新聞を買ってきて求人欄にのってる派遣会社に電話。主人のアドバイス曰く、覚えたての時にすぐ登録しておいた方が、絶対MSオフィスはテストされるんだから、と。
3つの派遣会社に面接・テストを受けに行き、待つ事数週間。
1番最初にもらった仕事の電話は、何と夜11時から朝7時までの、銀行のクレジットカード処理、データ入力でした。時給千円。昔のタイプの、クレカを紙に挟んでガッシャーンってする機械、解る人いますかね?(笑)あの領収書が束になって送られてきて、その情報をPCに入力していく仕事でした。その時丁度観光シーズンの仕事が終わり、さあまたバイト探さなきゃなって思ってたプータローだったので、とりあえず引き受けてみましたが...やっぱり夜中に働くのは体がついて行かず、2日でギブ(^^;)
最初の仕事をお断りして4日後に、今度は違う派遣会社から仕事が回ってきました。この国のガス会社の、サービス営業所での事務とデータ入力。契約期間、3ヶ月。開いたばかりの営業所だったので、本社が契約社員の助っ人を3ヶ月間営業所に送りこむって事でした。
私はもちろん即決でした。時給1,200円。以前の日本人のツアー会社の事務は時給850円。たとえ3ヶ月でも、終了したら経験が増えたって事で、またすぐ何か回ってくるかもしれない。
その2日後に、また別の派遣会社から6ヶ月契約の鉄道会社のチケットオフィスでの事務の仕事があると電話を頂きましたが...うーん、すみませんもう決まっちゃったんですってすごーく後髪を引かれながら断ったのを覚えてます。こっちは6ヶ月、それも家から電車で1本、20分。かたや決めた仕事は、バスを2回乗り継いで、片道45分。でも決めちゃったものは仕方ない。1番最初の夜中の仕事を引き受けておいて断ったばかりだったので、同じ事を繰り返したくなくて。派遣会社にやっと登録したのに、印象を悪くしてしまうのがとても怖かったんです。
とにかく、仕事が決まった。主人がオフィスで働き始めて7ヶ月後の事です。私もこっちの国のオフィスデビューのチャンスが来たー! 26歳になってました。
どきどきしながら初日の日を待ちました。
ああ、まだ続きます、長くなっちゃったー。すみませんいつも(^^;)
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