海外で自分らしく生きていくには
2016/09/25
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海外に住んですでに25年以上が過ぎている、アラフォーのネイナンです。
30歳を過ぎた頃、この国に住んでる期間の方が日本に住んでた期間よりも長くなってしまったのに気づき、そしてこれからも私はこの国で生きていくんだろうなと改めて考えた時に、ふと寂しい気持ちになったのを覚えています。
過去のお話で書いた事もあるように、私は自ら海外生活を望んで日本を離れた訳ではなく、親に連れられてやむなく来てしまった訳で...そりゃあ、日本に対する執着はハンパなかったです。毎日毎日帰りたくて、親を恨んで、泣いてた。
思春期でしたしねー、難しい年頃で、友達と離れる寂しさ、新しい土地で暮らす事への不安、言葉が判らず恥ずかしい思いやくやしい思いをしたり、誤解されたり。はっきり言って、15歳なんて親や周りの事なんてどーでもいい年頃ですからね、もうとにかく自分が優先で。高校から帰ると勉強そっちのけで、尾崎豊ばっかり聞いてましたわ(笑)
昔の話はここからどうぞ♪
昔、昔の話
昔、昔の話 続き
そして海外移住後の私達家族
海外移住後の私達家族 続き
高校さえ卒業すれば自由になれる、自由になったら私は日本へ帰るんだ。ずっとそう思ってました。こんな楽しくない田舎の国で私は時間を無駄にしてる、親のせいで。未成年でさえなくなれば、日本に帰れる。日本で好きな事をして暮らす。恋人を見つけ、結婚し、日本でずっと生活する。それが私の夢でした。
まあ、思いっきり後ろ向きに生きてたわけです(^^;)
後ろしか向いてないから、せっかく与えられた海外生活を楽しむ事が全然できませんでした。確かに、その頃は親も自己破産したり父親がもともとアレだったりで子供達に目を向ける余裕もなく、家族で楽しむ余裕もなかったっていうのもありますが、それでも高校生の頃の楽しい思い出っていうのが私にはほとんどありません。
最後の方は勉強そっちのけでジャパレス(日本食レストラン)でアルバイトして日本行きの飛行機代を貯める事のみに集中してましたし。
結局、18歳になってさっさと日本へ帰ったかというとそうでもなく、アルバイトしてお金を貯め、日本へ帰り、半年くらいしたらまたこっちの国へ帰ってきてまたバイトしてお金を貯め、ある程度貯まったらまた日本へ帰るっていう、
世界をまたにかけた逆輸入フリーター生活を3年以上繰り返してました(笑)
今はどうかわかりませんが、その当時のジャパレスってまだ私の住んでる国では高級レストランの部類に入り、値段が高いからチップもめちゃよくって私みたいな小娘でも週5日働いて月25万円以上とか稼げたんですよね。
日本だと、友達と一緒に牛丼屋さんのアルバイトがしたくて当時時給700円、応募しても面接さえ通らない私が。
日本だと中卒で、勉強もロクにしてないからせっかく外国に住んでたのに言葉も上達してなくて、何のとりえもなく、ただ日本に住みたいという将来の夢しかなくフラフラで。
こんなんじゃ駄目だってうすうす気づきながらも、でも何がしたいか判らず、今が楽しければいいって思い込んでひたすら将来の事を考えるのを拒否してました。そのうち日本で誰かと知り合える、結婚する、子供を産んで母親になってずっと日本で暮らす...そればっかり考えてた20才、今考えると超こわー(笑) 自分で書いてても引くわっ(^^;)
この国に語学留学やホームステイ、観光などで来てる同世代の女の子達と知り合い話してて、うらやましいと言われた事は数知れずあります。
「いいなー、そんな若い頃からここに住めて」
「いいなー、私も長くいたいけどビザが切れちゃうから日本に帰らないといけない」
「私も永住権取りたいから頑張ってる」
その当時の私は、「自分の意思で来た訳じゃないからうらやましくなんてないよ。私は逆に日本に住みたいし」
ずっとそんな生意気な返答ばかりしてました。
私には逆に、自分が来たい!と思ってお金を貯めて行動に移し、この国で頑張ってる彼女達の方がキラキラまぶしくて、とってもとってもうらやましかった。私は日本にこだわりすぎて、この国に住んでる事に何の価値も見出せなかったんです。
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そんな、親をうらみ、日本に帰りたいって事しか頭になく、この国にはお金を稼ぐ為に一時しのぎに住んでるだけで、生活を楽しもうとさえしなかった私が変わったのは、主人と知り合ったからでした。
男と知り合って人生が変わる、はい、私もそのクチです(笑)
最初は友達だったんですけどねー、バイト先で知り合って。それも、このバイトも日本行きの軍資金貯めるためだから、お金貯まったらすぐ辞めて日本帰るしねってずっと言ってて。やつも、ふーん、そっかーなんて言ってて。
それが...気づいたら20年も一緒にいて、結婚して子供2人いますがな(^^;)
主人と知り合って色々な場所へ一緒に遊びに出かけるようになって、それまで見ようともしなかったこの国の色々な事が見えてきて、楽しくなってきた。私の居場所なんてないと思ってたはずなのに、さすが移民の国、どんな人種でも溶け込めるようになってますよ、それはその本人次第で。何年も住んでる癖に言葉もロクに話せないとコンプレックスだったのに、ちゃんと伝わってるから自信持ちなよって優しく言ってもらって。いつの間にかシャイではなくなって、今では主人より話すかな(笑)
そんな日々を過ごしてるうちに、いつのまにか、がんじがらめに私を縛ってた日本への執着が消えてました。
もう日本に何としてでも住みたいって思わなくなったなぁ、この国もいいよなあって気持ちが変わった頃に主人からのプロポーズ。この人と結婚したら、もう日本に住むっていう選択はなくなるぞって一瞬思ったけど、どこに住むかが問題じゃなくて、私らしく生きていく場所は、この人と一緒の場所なんだよなって思ったので決めました。
15歳からの7年間、海外に住みながら日本の音楽しか聴かず、ビデオレンタルで日本のドラマしか見ず、雑誌も、小説も日本のが置いてある図書館に通いつめ、友達も全て日本人のみ。ご飯食べに行こうよってなると日本食のみ。行きたい場所も日本のイベントのみ。
どこまで自分の行動範囲を狭くしてたんだろうって今更ながらちょっと引きますが(笑)、それだけ日本!日本!って片思いを引きずってるような7年間があったからこそ、今はかなり吹っ切れてこの国で仕事と子育て頑張れてます。
私も親になり、これからもし自分の子供達があの頃の私と同じように何かに取り付かれて前に進めなくなった時、気づかなかった、ではなく、一緒に前に進めるように、自分の居場所を見出せるように陰ながら力になれればいいなあと思います。
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